私達熟年夫婦は富山の山奥で自家栽培の無農薬米,麦,野菜を作って8年目を迎えていました。
2008年5月 南紀和歌山で 私達は再出発しました。
富山では自然食の「菜食喫茶」を開き,「農協の直販店の会員」ともなり、自分で焼いたパンやおにぎりを出荷したりしていました。
山では放置された多くの農地があり,声をかけるだけで簡単に借地で農業の出発ができます。その簡単すぎることが時としてアダともなります。
無農薬で手をかけた農地がよくなる頃,地主の子の世代が退職してきたり,孫が戻ってきたりで,返還させられることがあるのです。
自前の農地を求めて右往左往していました。新規の農地取得はなかなか困難で、遠方に移動する人たちが決してまれではないことをはじめて知りました。縁あって和歌山の農地を手にすることができました。
私達2人の農に巡り合う歴史について
妻は子育て中,子供の健康を願い,自然食品を買い求め,その価格の高さ,手に入りにくさに歯がゆい思いをしていました。また無農薬のものを手に入れることで環境問題に足を踏みこむことにもなり,いつか自分は小さな生活をし,百姓になるのだと考えていました。
それともうひとつ,多感な時期に環境教育をしてしまった親の責任として,子供に田舎で暮らすという選択肢を備えておいてやりたいという気持ちがありました。(今のところ,子供達の生活も夢も,都会にあり。親の備えの出番はなさそうです。)
多くの人に「食」の大切さ,「菜食と環境問題の関わり」やパワーのある食べ物で作られる体と心の不思議を味わってもらい、昨今は農作業に気軽にかかわってもらえる場を提供したいという思いもつのります。
夫はというと,夫が子供であった一時期,大陸からの引揚者の生活を支えるために,親と一緒に田舎で暮らしたことがあったという。父は教師としてほぼ不在で,兄は勉学で,弟妹はまだ働き手にならず,母と二人で百姓仕事の大半を担わざるを得なかったといいます。
百姓の辛さを身にしみて知ったので,学校を卒業してからは工事会社を経営したり,その後それを人にゆだねたりして,サラリーマンとして大半を過ごし,定年を迎えたのです。
熱心な職業人としての生活を終えてみると,小さな百姓仕事は,たいくつしのぎ以上に,日々の仕事としてやることが多くあって,それでいて,かつてやったことのある農作業の大変さよりもはるかに楽になっており,たいがいの仕事は手際よくこなします。
意欲が先走る妻とのあやういバランスを保ちながら,二人は2人3脚で生きています。百姓の醍醐味は勉強し,工夫することの結果がでること。後発の百姓ならではの自由な発想ができること。反面,自然の力に身を任せざるを得ないことです。人生の終わりに
何と味のある生活を手にいれたものだろう という思いです。
私たちは天の気、地の気をふんだんにいただき、60才を過ぎてますます元気で生きている。そのお蔭様パワーをどなたにも味わってもらいたいと考えています。